こんにちは~よろみです♪
今日はマインド系、メンタル系のお話しを。
私は、他人は変えれないと思っているけど、人は変われると思っています。
それは、私自身が、自分の結構やべーとこに気付いて、変われたなと思っているからです。←
専門学生の頃ぐらいまでは、他人は変えれる!って爆裂的に思っていました。
自分が真摯に向き合って伝えて行動すれば、他人は変わるし、だってそうやってやってきたもん!って本気で思っていました。そしてそう生きてきた自分を疑うことすらありませんでした。
今なら、当時の自分を思い出して、
他人を変えれる!と思っている時点で、
他人を変えたいって思っている(相手をコントロールしたい)とか、
逆に、誰かに自分を変えてもらいたい(他人軸)という、潜在的な意識があったんだなぁと、わかります。
??????って思った方。今日はそんな深い深い、お話しをします。
自分と向き合うって何?と思ってる方、変わりたいと思っているけど、変われないなぁと思っている方、
家族や恋人、職場等で、喧嘩や言い合いになった時、自分は変われない!と断言したことがある方、感情的になってしまう自分に気付いている方などで、そんな自分を変えたいなぁとか、なんでこうなんだろうっと思う方の何かヒントになれば幸いです。
他人は変えれないと、完全に理解したのは、、、
人は自分自身で気付かない限り、変われないなと身をもって経験したからです。
よく言われるじゃないですか☆
他人は変えれない。自分が変わる方が早い。とかって。なんとなーくは理解していたけど、、、(昔は、え、なんでこっちが変わんないといけないの!?ぐらいの勢いで思ってたよね!)
自分の中で完全に腹落ちしたのは、昨年お付き合いしていた人と別れた時で。
この腹落ちしたというのは、別れた経験のおかげで気付けたというよりは、今まで積み上げてきた自分なりの解釈に、その時確証が持てたという方が近いかな。
他人が、どんなに言葉を選んで、どんなに環境を選んで、思いを込めて、愛情をこめて、
伝えたとしても、本人が、気付かない限り、何も響かないし、伝わらないと思っています。だから何も変わらない。
(もちろん、気付きを与えれたりすることはあると思うし、それで変わる事もあるとは思うけど、それは表面的なものが多い気がします。)
自分は変わらない!って啖呵きっちゃうタイプは、自分を変えようとしてくる相手に対しての脊髄反射が凄い。こちらがなんとなく発した言葉から、こいつは自分を変えようとしてくるやつだ!って反射的に解釈して、普通に伝えた事に対して、ビックリするぐらいキレたりするタイプもいますよね。。。(おっと脱線した この件、後半に私なりの解釈を書いてます)
他人は変えれないという事を、自分自身が変われたからこそ、その本質に気付く
私自身が変われたきっかけはずばり、1級建築士の製図試験を経て、自分という人間にとことん向き合った事です。
自分自身の思考の癖、こうあるべき論、ラベリング癖、繊細な部分、感情的になりやすい(イライラしやすい)自分がいたことなど、この製図試験というものが自分自身と向き合うきっかけをくれました。
単なる試験で?と思う方もいらっしゃるかと思います。
ただ、この製図試験、我が強かったり、昔の私のように、こうあるべき論者で、素直に学ぶ姿勢が欠けると、本当に苦しむ試験です。
その、自分のこうしたい!や、こうあるべき!という思いは、課題文を解く上では全くもって不要で、どうしても自分を出したい(認められたい←私の場合ね)欲求がいつも、課題文を難しくしていました。
そんな、私が作る答案は、よくマイノリティと言われ、勉強仲間の中で、自分だけ違うとか普通にありました。
私は製図試験、3年目で合格したのですが、2年目~3年目に、とことん自分自身と向き合いました。(製図試験的にやった勉強内容は、こちらの記事を参照ください)
私って何でマイノリティな事(人と違う事)をかますんやろうって思って、ふと自分自身(性格や内面というもの)にベクトルを向けたのがきっかけでした。
そして、人より、こうしたい!こうあるべき!という思いが強いことに気付きました。
そこから、何で私は、こうしたい!とか、こうあるべき!とか、決めつけが多いんだろう・・・、
なんで決めつけちゃいたいんだろう・・・、何でそうしたいんだろう、、、何が怖いんだろう??
といったように、最初は、その一つの事象に対して、なんでそう思うんだろう?と1個ずつ掘り下げて考えていくようにしました。
そうしていくと、結局のところ、自分の中で感情が動く(心が揺さぶられる)事が無いようにしたい、というか、
感情の動きを想定内にしたいといったような思いがあったりするなぁとわかり、自分の『感情』と向き合う必要性があるなぁと気付きました。
自分自身のマインド(感情)とどう向き合ったか。
私のしたこと。
〇本を読んだ。
その本を読んで、気付いた事があったりしたら、それをアウトプットした。
このアウトプットは、こういう風に思ったんだよねーとか気付いたんだよねーっていうのを友達に話したり、日記帳(ポメラ)に書いたり。
〇ネガティブな感情になった時、その感情を深堀していき、こういう事を言われて、ショックだったんだ。とか、悲しかったんだ。とかその時の表面的な感情(自分の怒り等)の裏に隠れている感情を認知した。
〇感情的になった時に、その事を言語化(何かに書く)した。(私はワードに書いてた笑)
- 1.何に対して感情的になったか
- 2.何でそう自分は感じたのか。
- 3.どうすれば良かったのか。どうしてほしかったのか。
この3点セットをひたすらにアウトプットした。すると面白いことに、似たような事で感情的になっている自分がいることに気付いた。(思考の癖に気付く)
私の場合、共感してもらいたい場面で、否定的な事を言われると、感情が動くことに気付きました。
上記の事をして、自分自身の気付いた思考の癖は下記です。
これは、この3年内の事というより、ここで気付けたことで、それはもう、ずーーーーっと昔から、高校生くらいの頃からこういう思考の癖があったなと思います。
●こうあるべき!という思いが強く、その思いを対相手にも求めがち。
●勝手にこっちが期待して(忖度して)とったコミュニケーションで、対相手のリアクションが自分が求めているものと違った時に落ち込みやすい。
●いや、普通こうでしょっというマインドが強いことから、察してほしいという思いも強かった。そして、察してくれなかったときに、勝手にいらつく。←
●相手に言われた(求められた)わけでもないのに、勝手に推察して(こうあるべき論)行動して、疲れてしまう。
●こうあるべきが強いので、他人に対して厳しく否定的になる(普通こうやろ、、、とか心で思ってしまう)他者否定は自己否定だなぁと今ならわかる。
●1mmでも傷つきたくない自分がいて、その自分を守るために、本当に聞きたい事が聞けなかったり、言えなかったりした。
こう活字にするとまぁまぁヤベーやつ。爆
上記の思考の癖が私にはあるなぁって事を、32歳ごろでやっと気付いたんです。
自分の思考の癖や、感じ方の癖というものが少しでも認知できると、対策が取りやすいというか、あっ、また思考の癖が出てきてるなってという視点を持つ、もう一人の自分が出てきてくれて、客観的になりやすい事に気付けました。
客観的になれるようになると、もう一つ気付いた事があって、
なので、どうしても落ち込んだり、マイナスな感情が頭を支配したりした時に、その感情は、あえて自分が選んで、
そこに焦点を当てにいってるだけやな!と気付くようになりました。
すると、意識的に『切り替える』という事が容易になったように思います。
自分の感情と向き合った結果わかったこと。
こうあるべき!が強いと、それを相手にも自分にも求めてしまう。
そこにはグレーゾーンがなく、ゼロ100思考になりやすいと気付きました。
そして、求めるものが得られなかった時の対相手に対しての怒りや、自分に対しての落胆さが非常に強く出る事、ようは、完璧主義を求めやすくなることにも気付きました。
時として、こうあるべき!が必要なシチュエーションはあると思いますが、
日常でそのマインドが強いと、相手も自分も許容できる範囲というのがすごく狭くなってしまうのです。
今思うと、それってすごく疲れる。常に、他人を監視してるみたい。。。
すごく常に、センサーをはってるかんじ。。。無意識にね。。。
今は、こうあるべきという思考をかなり緩めることが出来たので、本当にイライラしなくなりました。
ビックリするぐらい。ようは、他人に過度に期待しなくなりました。
どんな感情でも認知してあげて、受け入れる。
私は基本、根がパリピなので←、結構前向きお化けです。なので、Happyな感情の受信は得意。嬉しい楽しい大好き!と自分にも相手にも、時には喜びの舞を披露するくらいアウトップは得意です。
なので、その逆の感情をいかに認知することを避けてきたというか、そういった感情を受け入れるのが苦手という事にも気付きました。
辛かったこと、悲しかったこと、蔑ろにされて切なかったこと、否定的な言葉を受けて傷ついたこと、ショックを受けたこと、その一つ一つを、しっかり認知しました。過去に遡ってね。
あぁやって言われて、ショックだったんだよね。とか、あの時、自分の大切なものが否定されたように聞こえて、悲しかったんだよねっなど、いちいち、その出来事を回顧して、その感情に気付いてあげて、それをひとつひとつくみ取っていくイメージです。
この作業、結構しんどいです。辛かった事をもう一度思い出すからね。
でもこのネガティブな感情認知作業をすると、その後は、不思議とスッキリするというか、ダラダラと同じ事を考えたり、ネガティブな感情を反芻しなくなりました。
この作業は、ネガティブな感情以外の自分のマイナスと思われる感情でも向き合います。
あーなんであの時、ああいう言い方しちゃったんだろう。。。とか、
なんであの場面で上手く立ち回れなかったんだろう。。。とか、
頭にこびりついて離れない後悔の念のようなものも、しっかりくみ取っていきます。
例えば、もっと出来たはず!は、もっと出来た自分を認めてもらいたかったり、ようは、やっぱりここでも完璧主義を求める自分がいることに気付いたり。。。
その時に肝心なのは、出来なかった自分も自分。出来なかったよね。それが悔しかったよね。と、その事実だけを認めることで、出来ない自分はバカだとか、自分で自分の事を否定しないことです。
単なる結果や評価から、“自分は価値の無い人間だ”と自分で自分自身の人格?性格?的な部分をも、否定したり、自分を責めたりしないこと。私はダメな人間なんだぁとかね!
結果や評価を、自分の価値とイコールにしないこと。(そもそも自分の価値って言葉もなんかおかしいけど、ここではわかりやすくあえてそう書くね♪)
出来なかったら、出来なかった!という事実を真摯に受け入れるのみ。自分はバカだからとか、出来ない人間なんだとか、そんなこと、一切思わなくて良いからね!!!
自分には自分しかいないし、自分は自分の味方です。
この自分を幸せに出来るのも自分。
どんな感情をも、しっかり受け入れる。
そこで、自分で自分の事を否定しちゃうのは、自分で自分を傷つけているようなもの。
今でこそ、私はそう思えるようになりました。
今、何か辛い出きごとがあったら、私は私を一番抱きしめたい。ってガチで思う。
ここ数年で、もっと自分自身を大切にしたり、労わったりしてあげたいっていうマインドが生まれました。
結局のところ、傷つきたくない自分への自己防衛。
感情的になったりする自分や、こうあるべき!論で、ガチガチに固めてしまう思考の癖だったりって、自分が1mmでも傷つきたくなかったり、過去の辛い思いとか、またあの時の思いを味わいたくないっていう自己防衛からくる場合もあるよなって思います。
冒頭で脱線した話で言うと、
私は変わらない!
俺を変えようと思っても変わりません!って言ってくる人の心理を私なりに解釈してみます。
ここ数年で、自分自身と向き合ってきて、人に対して感情的になってしまう自分や、
他人にイライラする自分を、自分の感情を認知して受け入れていくことで、少なからずそうなりにくい状態になれる事に気付けた私は、感情的な態度を取ってくる相手の、表面的な感情の裏にある感情ってなんなんだろうっていう視点になるようになりました。
全部が全部、いちいちそうは見ないけど笑
この人は、何に傷ついてきてきたんだろうとか、どういった価値観を押し付けられて、それをひたすらに受け入れてきたんだろうとか、色々と思ったりします。
自分は変われん!って誰もこっちが、変わった方が良いよーとか何も求めてないのに、自ら言ってくる人が一定数いることも体感していて。
そういった方に共通してそうだなぁと思う認識として、
自分を変えてこようとするもの(と感じとれるような状況含む)=悪
自分の価値観を変えてこようとするもの(と感じとれるような状況含む)=悪
なのかなぁと。そこが悪になったのには、過去に、深く傷ついた経験だったり、嫌な思いをした事だったりと、悪になった理由があるんだろうなぁと。
だからこその、何もこちらが求めていないのに、全力のNO!(変わらない!)なのかなぁと。
それは、これ以上私を傷つけないで!あなたの価値観を押し付けないで!
という自己防衛なんだろうなぁと・・・。
最近思うのは、私の愛する人たちの過去に、その傷をおった原因があったとして、
タイムスリップして、その場面にいって、救ってあげたいって思う。
全力で承認してあげて、すごいね~!上手だね~!って。否定してくるものから救ってあげたい。
まとめ
他人は変えれない。
他人は自分を変えてはくれない。
誰かの何かで自分に何かが起きて変わるんじゃないかって期待している間は何も変われない。
ただ人は変われる。
それは自分自身で気付いた瞬間から変われる。
自分自身で、自分の考えで、自分の決断で、そして行動で、人は変われる。
人間、完璧じゃない。
失敗だってするでしょう。
でも、そこから学んで、都度アップデート出来ればいいな。
それの繰り返しで、棺桶の蓋閉めるとき、あー楽しかった!私の今世最高!って思えたら良いなぁと思っています。
これからも私は自分の感情を大切にしていきたい。自分自身をもっともっと大切にしていきたいです。
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